平岡整体療院院長の放浪記


第71話 エリザベート王妃

王宮の目玉として外せないのが 『シシイー』博物館です。シシイーとは、エリザベート王妃の愛称で、そう呼ばれているそうです。


◆一番有名な肖像画

彼女は見ての通りの美貌の持ち主で、ヨーロッパ中にその名はとどろいていたそうです。 彼女の人生は、宝塚歌劇団の演目になったり、映画になったりもしています。


◆宝ジェンヌが演じるエリザベート

近代でいえばイギリス王室のダイアナ妃に例えられると思います。 その人生もどこか二人は似ていました。 エリザベート王妃は、ドイツ、バイエルン王家の公女として生まれ、16歳でハプスブルグ家に嫁いで来ました。


◆嫁いだ頃のエリザベート

フランツ・ヨゼフ1世に見初められて迎えられたそうです。 彼女の性格は、自由奔放で好き嫌いが激しく、姑とは、合わなかったらしく、ウィーンの王宮では殆ど過ごさなかったようです。 各国を旅して周り、お気に入りはハンガリー王国のブタペストのお城だったようです。 彼女には、ルドルフ皇太子という息子がいたのですが、その最愛の息子は愛人と心中を計って亡くなったそうです。 その後、彼女は喪服しか着用しなくなったそうです。



そんな彼女は、スイスのジュネーブを旅行中、イタリア人の暴漢に襲われて心臓を刃物で刺され、60歳で亡くなりました。 そんな彼女の最後の言葉が 『あの人なぜ私を襲ったのかしら、きっと財布でも狙ったのかしらね』 そう言い残して彼女は事切れたそうです。 その時も、黒い服装だったそうです。

イギリスのダイアナ妃は、パパラッチに追跡されて事故に遭って亡くなりましたが、二人とも偶発的な事故なのか、陰謀によるものなのかは分かりませんが、不幸な最後を迎えています。



話を シシイー博物館に戻しますが、博物館の中には彼女が使った家具や食器や調途品、さらに着用した靴やカバン、ドレスなど山のように展示してあります。 見ていて思ったのが、足が小さくウエストがくびれて抜群のスタイルの持ち主だったことがよく分かりました。


◆晩年の頃のシシイー

言い伝えでは、身長が172センチ、ウエストが50センチ、体重が50キロのサイズを生涯保っていたそうです。 その秘訣は、徹底した食事制限、食べていたのはサラダと果物、他にはヨーグルト位しか食べなかったそうです。 その偏食のためか晩年は肌荒れが酷かったとか。

美を保つのは、今も昔も大変なようです。 死んだ後も モテる女はやはり何処か違います。

シシイー博物館を出て、出口に向かうと館内の土産店にはやはりエリザベートの置物や、エリザベートの顔の入った、エリザベートグッズでいっぱいでした。

この後、ウィーンでも有名なお菓子屋さん『デイメル』などを覗いたあと、レストランで夕食を済ませ、ホテルに戻りました。 寒い市内をたくさん歩いたのでヘトヘトになり、その日は早めに休みました。


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