平岡整体療院院長の放浪記


第69話 カプツィーナ教会
(カイザークラフト)


シュテファン大聖堂を後にして、ちょうどランチの時間になったので、近くのレストランに入りました。 ここでウィーンの郷土料理『ウィンナー・シュニッツェル』 が出ました。 子牛の肉を薄く叩いて伸ばし、カツレツに仕上げた料理です。 元々は宮廷料理だったそうです。 ウィーンのビールとよく合いました。 そして、デザートは、これも名物『ザッハトルテ』 でした。 日本の物より砂糖をたくさん使っていましたが美味しかったです。


◆ウィンナー・シュニッツェル

ランチの後は、現地ウィーン在住の日本人ガイドさんに代わり、ハプスブルク家の墓所へと向かいます。

 
◆写真はレンガ色の壁のカプツィーナ教会と言いますが、
特にこれといった特徴の無い、ただの街の教会に見えます。
しかし、ここが王家の人達が眠る教会なのです。
それでは、これから中に入ります。

 
◆ここが一階部分の礼拝所です。
壁が大理石で装飾もキレイですが割りとこじんまりとしています。

 

この後、地下におりて墓所に向かいます。

  

地下におりると、まるで地下トンネルのように、長い通路が続いています。 その両脇に銅でこしらえた棺が並んでいます。 王族の遺体が149体あるそうです。 ガイドさんの説明がどんどん進むのと、ほとんど立ち止まらないで進んでいくので、聞き取るのが大変なのと、急いでシャッターを切りながら進んだので、どれが誰の棺なのか殆ど頭に入りませんでした。

  

棺の形は様々で大きさも様々、成人のもあれば、胎児のもあります。 装飾も色々でドクロやら天使やら、キリスト像の張り付けの物まであって、どっちかというと、おどろおどろしいものが殆どですが、ここに並ぶ棺は王家ご用達の当時の著名な彫刻家が仕上げた美術品ばかりです。

  

ガイドさんによると、この棺の中には防腐処理を施されて乾燥させた遺体が入っているそうです。 永久保存をするためにエジプトのミイラ造りの工程と、よく似ていて腐りやすい目玉や脳は取り除き、内臓は別に防腐処理をして、別の場所に安置してあるそうです。 このウィーンの土地は、湿気が少なく割りと乾燥した気候らしく、遺体の保存に向いているそうです。 遺体を3つに分けて保存するのは イエス・キリストの復活に由来するみたいです。

  
◆この彫刻が目立つ棺もかなり有名な マリア・テレジア女帝の父上、
神聖ローマ皇帝カール6世のものです。

しかし、その後に出てくる マリア・テレジアの棺はさらに巨大で立派です。 棺の隙間ができるたびに定期的に補修を行うので、その費用は永久に莫大な金額が掛かっているそうです。

 
◆大きくて立派な棺がマリア・テレジア女帝 と フランツ・シュテファン皇帝
の二人分の遺体が収められた棺です。
ハプスブルク王家の双頭の鷲の紋章が刻印されています。


◆マリア・テレジア女帝の棺の天井にあるドーム屋根とフラスコ画

トンネルの突き当たった所に マリア・テレジア女帝 と フランツ・シュテファン皇帝 の二人分の遺体が収められた特大の棺が置かれてました。 特に大きかったので、周りをぐるりと一周してみたのですが、壁との隙間が殆どありませんでした。 2トントラック一台分くらいの大きさがありました。 フランツ・シュテファン皇帝の死後、マリア・テレジア女帝は、夫の供養のために、度々ここに訪れました。 シュテファン皇帝は今で言うところの婿養子だったようですが、マリア・テレジアとシュテファンは大変仲むつまじい夫婦だったようです。 それから15年後、ここを訪れたマリア・テレジアは 『シュテファンが私を帰したくないみたいな気がする』 そう言った数日後、62歳で亡くなったそうです。


◆マリア・テレジア女帝の肖像画
ソチ・オリンピックでスノーボード大回転の
銀メダリストの女性とよく似ていました。目力が凄かったです。
睨まれたらきっと足がすくむと思いました。

マリア・テレジア女帝は、ハプスブルグ帝国の象徴のような存在で、王国を繁栄させた立役者でした。 その存在感たるや 『沈まぬ太陽』 のようだったそうです。 体格も堂々たるもので、体重は200キロ、力士でいえば 逸の城 か 碧山 ほどもあったそうです。 城や王宮で過ごす時も、2階3階へ移動する時、滑車を付けた人力エレベーターを使い、大の男が5〜6人掛かりで引っ張り上げていたそうです。 そして、フランツ・シュテファン皇帝との間に16人もの子供をもうけて、ヨーロッパ各国との間に婚姻関係を作り領土を広げていったそうです。


◆ナポレオンの2番目の妻マリー・ルイーズの棺です。
彼女もハプスブルグ家からフランスに嫁いだのでした。

  

トンネルがコの字型に進み、出口に近づいてくると、ヨーロッパ随一の絶世の美女とうたわれた エリザベート王妃 の棺が見えて来ました。

  
◆中央最奥に見えるのが フランツ・ヨゼフ1世の棺
◆ヨゼフ1世の左の棺が エリザベート王妃 の棺
◆ヨゼフ1世の右の棺が二人の息子ルドルフ皇太子のものです。

さすがに世紀を超えてのスターだけに、フラワーバンドと花束がたくさん置かれてました。

ハプスブルグ家の神聖な墓所は、外の喧騒からはかけ離れて静まりかえっていましたが、それにしても栄華を誇った王家の墓が割と目立たない、見た目はただの街の教会にしか見えない所にあったとはとても意外なことでした。


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