平岡整体療院院長の放浪記


第60話 エジプト考古学博物館B
(カイロ博物館)
「黄金のギャラリー」


古代エジプトをあまり知らない人でも知っている『ツタンカーメンの黄金のマスク』は、カイロ博物館の2階に展示されています。 『考古学の歴史の中で、これ程ドラマチックな発見はない』と言われた、あの発見で見つかった宝物です。


アヌビス神の像

2階の最も奥にあるギャラリーには、『ツタンカーメン王墓の副葬品』のコーナーが設けられています。 そのスペースは、12の展示室に区切られていて、2099点もの宝物が納められた心が躍る展示ケースが並びます。


兵士の像

ツタンカーメン王が、生前に使用した馬車も、寝台も、玉座も全ての副葬品が黄金に彩色されています。 黄金の棺の外側を幾重にも囲っていた木製の箱枠までが、黄金色に塗られて美しい浮き彫りと絵画で飾ってあります。


ツタンカーメン と 妻アンケセ・ナーメン が描かれた黄金の玉座

この宝物の山を初めて目にしたハワード・カーターは、『まるで夢の中にいるようだった』と後に語っています。


ツタンカーメン王の臓物を納めたアラバスター製のカノポス壺

アマルナ美術の最高傑作が並ぶ、このフロアは、まさしく宝の山でしたが、それよりも更に多くの人を引き寄せて、人だかりが出来ていたのが黄金のマスクの展示室で、あまりにも多くの人垣に取り囲まれていて、黄金のマスクのそばに行くだけでも、とても骨が折れました。


当時のファラオの生き写しのようにマスクの表情は写実されている
アマルナ時代の職人の技能は卓越したものだったらしい


世界の三大秘宝に数えられる黄金のマスクは、たくさんの貴石で飾られた象嵌細工がそれは見事なもので、『マスクの価値には値段が付けられない』とまで言われているのも十分、納得が行くものでした。

私が最も心を奪われたのが、黄金のマスクの正面に置かれた二体の人型棺で、片方のは木製の棺を純金張りにして貴石の象嵌を施したもので、細工に限っていえば黄金のマスク以上の仕上がりに見えました。 そして、もう片方の人型棺は純金製で、総重量が110キロもあり、黄金の塊を叩いて伸ばして造られており、貴石やガラスを散りばめて装飾を施したもので、私の関心はすっかりその棺に釘付けになってしまいました。

黄金のマスクと、黄金の棺の顔の部分は、微妙に違っていて、同じ人物の物では無いような気がしました。 これはツタンカーメンの埋葬までに棺の制作が追いつかず、別の王のために作られた棺を使ったからではないかという説もあるようです。


純金製で素晴らしい出来なのですが、目玉が入っていませんでした

『魔が差してしまった』という、ことわざがありますが、黄金の魅力に取り付かれてしまい、それに抗うことが出来なかった盗掘者たちの心理も分からないでもないと思ったほどです。

黄金の塊の持つ力は、不思議なものです。 私は自分の生まれる時代がもし違っていたとしたら墓泥棒をやっていたかもしれません。

それは冗談ですが、私にはもう一つの気になる宝物がありました。 それは、第二次世界大戦の最中にデルタ地帯のタニスで発見された未盗掘墓、『プスセンネス1世』の王墓から出土した黄金のマスクと純銀製の人型棺です。


プスセンネス王の黄金のマスク

この時の発掘は、世界大戦の最中だった為、あまり大きなニュースにはなりませんでしたが、『ツタンカーメン王墓の発見』に次ぐ考古学史上の大発見でした。


くすんでしまった純銀製の棺

私は、それがどうしても見たくて、ガイドのイマド君に展示してある場所を尋ねたのですが、返って来た言葉は非情に残念でした。 『プスセンネス王の副葬品一式は、ただいま海外に出張中なので半年先まで戻って来ません』 というものでした。


プスセンネス王墓から出土した副葬品のアクセサリー

それもよりによって、出張先は日本だと言っていました。 イマド君の話では、日本は物価が高いので半年の出張でも、かなりのギャランティーがエジプトに入って来るそうです。 ですから、なるべく高いレンタル料金を支払ってくれる国にコレクションを出張させるそうです。 古代王朝の支配者たちは、死後もこうして働かされていました。


博物館の向かいの書店で写したスナップです
私も死後はこれくらいゴージャスに埋葬されたいものです・・・



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