平岡整体療院院長の放浪記 |
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第58話 エジプト考古学博物館@ (カイロ博物館) 「オーギュスト・マリエットの功績」
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19世紀から20世紀にかけて、エジプトでは発掘ブームの嵐が吹き荒れていました。 その頃は、世界中がエジプトに恋をしていました。 発掘品の多くは、発掘隊の本国である西側諸国へと持ち去られ、主にヨーロッパの著名な博物館に運ばれて収蔵されたのです。 博物館の主な仕事とは展示品の取得をして、それを展示することなのですが、それから更に展示品について書かれた書籍を出版して売ることです。 その中で最も魅力的な仕事が取得をすることですが、歴史的な価値や、美術的な価値の高い宝物を取得することは、その後の博物館に半永久的に訪れる来館者を取得するようなもので、博物館にとっては『金の成る木』を手に入れるに等しいことです。 ですから、『大英博物館』や『ルーブル美術館』などの価値のある収蔵品を手に入れた博物館では、エジプト政府がどんなに発掘品を返還することを申し入れても決して手放そうとはしません。 エジプトにとって貴重な遺物や、ミイラたちの里帰りは、『北方領土の返還』並みに実現が困難なのです。 そこで、今から、およそ150年前に、発掘品が国外へ流出するのをストップさせるべく働いた人物が、ルーブル美術館から派遣されていたフランス人考古学者のオーギュスト・マリエットです。
通称『カイロ博物館の父』と呼ばれるマリエットは、エジプト考古局の初代長官に就任すると、早速、出土品を調べ、記録し、詳細な管理を続け、発掘品を国外へ持ち出せなくしたのです。 1858年には、博物館と倉庫を建てて、収蔵品の保護と管理に努め、その後、1902年に博物館は現在の場所に移転されました。 二階建ての館内には、100余りの展示室が設けられ、収蔵物の数は10万点にのぼりますが、これは世界でも最大のコレクションであり、さらに20万点もの遺物が倉庫の中に収蔵されています。
館内は全面撮影禁止になっていて、展示ケースに携帯電話をかざしただけでも係員がすっ飛んで来る程です。 古代エジプトの貴重な遺産を国外への流出から守った偉大なマリエットは、死後、その遺体はカイロ博物館の前庭に埋葬されました。
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