平岡整体療院院長の放浪記 |
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第41話 「アブシンベル大神殿」 |
アスワンからアブシンベルまでの距離は860キロほど… ちょうどナセル湖の端から端までの距離ですが、昔、この土地はヌビア(黒い土地)と呼ばれていました。 アブシンベルはスーダンの国境から20キロほどの場所にあるのですが、ここにある『アブシンベル大神殿』には世界中から年間に約100万人の観光客が押し寄せて来ます。 なぜならアブシンベル大神殿は、ギザのピラミッド、カルナック大神殿と並ぶエジプトの三大スポットだからです。 3300年前、敵国を牽制するため国の力を誇示する必要があったので、ここに大神殿を造ったと言われています。 アブシンベル大神殿は第19王朝のファラオ、ラムセス2世によって建てられました。 古代エジプトの遺跡を巡っていると度々ラムセス2世の足跡が登場します。
ではラムセス2世とは、どんな人物だったのでしょうか・・・・・ それは古代エジプト史上において最大の権勢を誇った大王だったと伝えられています。 日本では黄金のマスクで知られるツタンカーメン王が有名ですが、現地エジプトではラムセス2世がダントツに有名です。 首都カイロでも、鉄道の駅名やホテルの名前、果ては広場の名前にも その名前がつけられているほどです。 日本の人物に例えるならば信長、秀吉、家康 と 坂本竜馬 を足したくらいの大スターです。 言い伝えによると、妻が50人〜100人もいて、子供を300人も作ったそうです。 ヒッタイト(現在のトルコ)との戦争では敵に包囲されたラムセス大王は、一人で1万人ものヒッタイト兵士を斬り倒し、蹴散らして、大勝利をあげたと言われ、領土の拡大を続けて90歳まで生きたと言われています。
もしこれが本当だとしたら軍事遠征や建設事業において、ラムセス2世は他に類を見ないほどのスーパーマンだったことになります。 ここに建設されたアブシンベル大神殿は、他の神殿とは少し違っており、石材を組み立てて建造されたものではなくて、大岩をくり貫いて造られた岩窟神殿です。 ラムセス2世が在位期間内に一代で完成させた神殿です。 大神殿の隣には王妃ネフェルタリのために造られたとされる小神殿も並んでいます。
ところでなぜこの遺跡がこれほど有名なのか・・・ それは1960年代、当時アスワンハイダムの建設が始まったのですが、この遺跡はナイル川の川岸に建っていたため『ダムに沈めるべきか、保護するべきか』で議論され、大いに世界中から注目されました。 しかし、これが『ユネスコ』(世界教育文化機関)創設のきっかけとなり、アブシンベル神殿は世界遺産登録の第一号の遺跡になりました。
この神殿には最奥部分に1年に2度だけ太陽の光が差し込む、設計者の仕掛けが施されており、その意図を尊重して、元の場所よりも65m高い現在の場所へ移築されました。 1000個のパーツに分けられて5年がかりでつなぎ合わせて完成させたそうです。 年2度だけの仕掛けとは春と秋のお彼岸の朝日の光が最奥部分の至聖所に安置された4体の神々を照らし出すというものです。 毎年その日が来ると、朝日を浴びた神々を見るために世界中から多くの人々が押し寄せ、立ち止まることができない程の人の波ができるそうです。
私が訪れたのは3月の初めでしたが、もう少し遅く来ていれば、その特別な光景が見られたのです。 その日は陽射しが強く35度くらいはあったでしょうか、肌がジリジリと焼かれるようでした。
ラムセス2世の石像が並ぶ大神殿を眺めていて思ったのですが、ラムセス2世という人物は王としての実力も大変なものだったようですが、余程のナルシストなのか、あるいは目立ちたがり体質の人物だったのではないかという気がしました。
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