平岡整体療院院長の放浪記


第27話 「大スフィンクス」

大スフィンクスにまつわる話の中に こんな話があります。 

ギザ台地の周辺で狩りを楽しんでいた青年が、獲物を追いかけているうちに疲れて眠くなり、砂の上に頭だけ出していたスフィンクスの日陰で横になってそのまま眠ってしまいました。 

すると青年の夢の中にスフィンクスが現れて彼に話しかけて来ました。 『私の体はもう随分前から砂に埋もれたままになっている。 もしも君が私の体の周りの砂の退けてくれたなら、やがて君がこのエジプトの王になれることを約束しよう。』 夢から目覚めた青年は家来に命じてスフィンクスの周りの砂を片付けさせました。 

これは今から3500年前、新王国時代の王、トトメス4世が青年期の頃の話です。 

トトメス4世は王に即位したあと、スフィンクスに大変感謝して当時の夢を石版に刻み、『夢の碑文』 として大スフィンクスの像の下に建てました。 今でも夢の碑文はそこにあります。 



それから約1500年後にエジプト王朝は、ローマ帝国によって終わりを向かえます。 それからずっと後になってから19世紀にエジプトで発掘ブームが始まるまで大スフィンクスは、再び砂に埋もれたまま首だけ出した状態で放置されていました。 

近代になってから再び発掘され、本格的な調査が行われ様々な疑問が解明されたのですが、さらに新たな疑問が浮上して来ました。 



大スフィンクスは石灰岩の丘をくり貫くように掘り下げて造られた世界最大級の石造です。 胴体はライオンを型どってあり、頭は別の場所から運ばれた硬い岩で人間の顔に作られています。 



寸法は高さが20m、長さが75mもあり、近くで見るとまさに大スフィンクスです。 

定説によると、今からおよそ4500年前の第4王朝時代(紀元前2500年頃)カフラー王のピミラッド複合施設の守護神として作られました。 言い伝えによると 『スフィンクスの顔はカフラー王に似せて作られた』 と言われて来ました。 


カフラー王の石像

それが近年ではそのスフィンクスの定説が疑問視される傾向にあります。 スフィンクスの顔についてですが、専門家が鑑定したところによると、現存するカフラー王の石像とスフィンクスの顔の造りを比較してみると、まるで別人の顔になるそうです。 

スフィンクスの顔の骨格は黒人の顔、当時のヌビア人(現在のスーダン人)の顔なのだそうです。 これには私も驚きました。 かつてエジプト王朝は短い期間ですが、クシュ王国(ヌビア人勢力)の支配を受けていた時代があったからです。 その時代にカフラー王の顔はヌビア人の王の顔に整形されてしまった可能性も考えられます。 


ヌビア人の顔と似ているスフィンクス

さらに近年注目されているのが、スフィンクスの建造年代が定説とは違うのでは無いかという点です。 

スフィンクスの頭を隠した写真を地質学者に見せると、胴体部分の侵食を跡を見て 『これは雨による侵食の跡である』 皆、口を揃えてそう言うのだそうです。 


胴体部分の水による侵食の跡

ボストン大学の地質学者ロバートショック氏の説によると、『ギザ台地に大量の雨が降ったのは今から1万3千年前に氷河期が終わりを迎えてからナイル川の大洪水の時代を経て、1万年前にサバンナ気候に変わるまでの期間、約3千年ほどで、それから約7千年前から砂漠気候に変化した』 となっています。 

ロバートショック氏は、スフィンクスは1万年前の失われた文明の遺跡だと主張しています。 

もしその意見が正しければ、スフィンクスは砂漠ができる以前に建造されたことになるのです。 そうなると、ピミラッドとスフィンクスの関係どころか、古代エジプト文明ともつながらない話になってしまいます。 

ここまで古い話になると頭が混乱してしまいますが、スフィンクスが1万年前の建造物とする説を裏付ける記録が今後、もし発見されたとしたら、これまでの考古学が引っくり返るくらいの一大事になってしまうのです。 この先、歴史的な新発見があるかも知れないので、その時を期待して私は待つことにします。


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