平岡整体療院院長の放浪記


第26話 「ギザの河岸神殿」

河岸神殿はピラミッドに付属して建てられた構造物の中でも王の死後、葬儀の準備を行うために建造された建物です。 


ギザの河岸神殿 全景

要するに王の遺体を永久保存するためのミイラ作りがこの場所で行われたのです。 

ミイラ作りには70日くらいかかったらしく、ここでミイラが完成したあと 『口空けの儀式』 が行われ、その後、ファラオのミイラは、葬祭神殿に向かって参道を運ばれたそうです。


口空けの儀式の様子

その後、葬祭神殿で葬儀が行われたあと、王はピラミッドの中に埋葬されたそうです。 

王が死ぬと、遺体は王宮からナイル川を船で運ばれてナイル川の西岸にある河岸神殿に到着します。 王の生前に建造された河岸神殿は、その名の通りナイル川の川岸に作られたので、そう呼ばれていますが、現在は川岸などは無く、川岸があったのはアスワンハイダムが完成する以前の50年前までだったそうです。 

当時は、王が亡くなると死後に行われた行事は、とても大掛かりで長い時間とお金が掛けられたそうです。

河岸神殿の建物自体は四角くカットされた巨大な石を積み上げて造られており、柱も四角いだけの何の飾り気も無いシンプルなものです。 


スフィンクスの手前の石積みが河岸神殿

ところが、単純に大きな石を組み上げて造られている分だけ、建物自体の強度は高くなっており、保存状態も見事に保たれています。

大きな石のブロックは200トンクラスの巨石が使用されていて、石と石の接合部分は紙を差し込む隙間も無いほどミリ単位で綺麗に仕上げられていました。

ところが、ここでもピラミッドとの内部と同様に壁にも柱にも、文字や壁画のような物は何も描かれていません。 メッセージが無いのですから建造当時の様子を知ることは情報不足で残念ながら困難です。

19世紀までこの神殿は砂に埋もれていました。 地震や風化による破壊を受けなかったのは砂に守られていたからです。

1852年にオーギュスト・マリエットによって発見された当時は、スフィンクス神殿と呼ばれていました。

アスワン産の花崗岩を加工して作ったブロックは、4500年の歳月を経た今でも加工したばかりのような輝きを保っていました。

河岸神殿を抜けると、右手には大スフィンクスが鎮座しており、カフラー王のミイラが運ばれたと伝えられる参道は、第2ピラミッドに向かって一直線に続いていました。 



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