平岡整体療院院長の放浪記 |
第24話 「ギザのピラミッドC」 |
バスは次の観光場所に向けて、パノラマポイントから引き返し始めました。 その途中、先ほど立ち寄ったクフ王の大ピラミッドの横を通り過ぎたのですが、その時に私は『次はいつエジプトへ来られるのだろうか? 果してそのチャンスはあるのだろうか?』と考えていました。 そして、ギザ台地の下り坂に差し掛かった頃、私は意を決して移動するバスの中で、添乗員と現地ガイドに相談をしてみました。 すると6日後はカイロ市内を観光するので、早朝ならば可能だと言うのです。 その代わり、『チケットを買う人を手配しないといけないので多少割高のオプションになりますし、タクシー代も別に掛かりますから』 と言われました。 そこで私は 『ツアー客全員で行くならバスを出してもらえるのかどうか』 を聞いてみたのですが、『それなら一人5千円のオプションで行きますよ』 と返事が返ってきました。 私はすぐにツアー客の皆さんに向かって 『クフ王のピミラッドに入ってみたい人はいませんか?』 そう言って呼びかけてみました。 するとツアーの皆さんも同じ気持ちだったらしく、全員が一斉に手を挙げました。 その瞬間に 『クフ王のオプション』 は決定したのです。 ツアー客の大半がクフ王のピミラッドには興味があった様子で私はツアーの皆さんからお礼を言われてしまいましたが、私としてはこっちがかえってお礼を言いたいくらいでした。 それはともかく希望が叶って嬉しかったです。 物は試しで言ってみるものだと思いました。 それから6日後、バスはクフ王の大ピミラッドの前に停まりました。 早朝なのでまだ観光客は一人も来ていませんでした。 この日は私たちが一番乗りでした。
ピラミッドの入り口付近には武装警官が数人と、チケットをちぎる係りの人しかいません。 二回目に訪れて気がつきましたが、基礎石を粗く削ったところに貝の化石や、珊瑚の化石が付着していました。 大昔、この丘陵地帯は海の底だったのです。 それから石のブロックの隙間には、空き缶やサンダルが挟まっていました。 2回目ともなれば、小さな事まで目に入って来ます。 そんな様子を横目に見ながら巨大な石段を6段目まで登って入り口までやって来ました。 クフ王のピミラッドの現在使われている入り口は、9世紀に盗掘のために開けられた横穴です。 正規の入り口はふさがれていましたが、ふさがれた入り口に積まれた三角屋根の形をした岩は一個の重さが推定で200トンほどもあるのだそうです。 これだけの大工事をやってのけた古代エジプト人は、相当な馬鹿力の持ち主だったことが分かります。
以前私は大阪城の桜門にはめ込まれた蛸石を見たことがあります。 推定で130トンもある城内でも最大の石だと聞かされましたが、このピミラッドの傘石はそれを軽く超えていました。 ビルの3階くらいの高さまで引っ張り上げた後、組み上げてありますので、大変な大仕事だったことは、こんな私でも理解できました。 さて、いよいよ入場ですが、低い天井を潜るように盗掘路を進みます。 粗く雑にくり抜かれたトンネルなので、所々に石の角が飛び出していて頭上には注意が必要です。 道は左に折れて本来の上昇通路に出ました。 下りの下降路は本来の入り口に続いており、そこにはフタをするように大きなブロックが詰め込まれて、そこから先に進めなくなっています。 上昇通路は天井の低くなった狭い通路が続いています。 先日のカフラー王のピミラッドでも同じように天井の低い通路でしたが、巨大なピラミッドには不釣合いな通路です。 前かがみで進まなければいけないので、只でさえ蒸し暑いピラミッドの中では狭い通路は不快な場所です。 この狭い通路を38m進んだところで、視界は大きく広がります。 長さが47m、高さが8.5mの通称、大回廊が出現します。 この大回廊はクフ王のピラミッド以外からはまだ見つかっていません。 この空間は多くの観光客の関心の的になっていて、第一ピラミッドが断トツに人気があるのは、この不自然に天井が高くなって続いている大回廊があるためです。
この部分だけ幅2mに広がり天井の高い通路になっているということは、この構造にしなければならない理由がきっとあったのでしょう。 何の目的でこのような構造にしたのかは分かっていませんが、私は色々考えてみたところで分からないものは仕方がないので、そう納得する事にしました。 この大回廊では、巨石がたくさん使われており、工事を進める中でもとても苦労した部分だと思います。 またこの地点は、水平に続く 『王妃の間』 と呼ばれている部屋へ続く通路への分岐点になっています。 王妃の間への通路は、鉄の扉で塞がれており施錠されていて、中には入れなくなっていました。 大回廊を進んだ先に玄室と呼ばれる埋葬室へとつながっていますが、大回廊と玄室の中間にはかつて石の落とし扉で塞がれていた天井の低くなった短い通路があります。 落とし扉があったということは、この先へ侵入させまいとする設計者の意思があったと考えられます。 記録によると9世紀にアラブのカリフ 『イスラムの太守』 アルマムーンが始めて玄室まで侵入したといいます。 王の玄室に入ってみたところ、ネズミの死骸しか無かったとする説と、王のミイラと副葬品が僅かだけあったが、発掘する労力に見合っただけの財宝は無かったとする説があります。
果してアル・マムーンは宝の山を見つけられたのでしょうか? クフ王の財宝はどこに・・・・・・・・・・ 黄金のマスクとミイラは・・・・・・・・・・ その時に何が見つかったのかは、今となっては確かめる術もありません。
玄室の広さは、30畳くらいの大きさがありました。 ピラミッドの大部分は石灰岩のブロックで作られていますが、この玄室に使われている石材は花崗岩『御影石』で作られており、天井に葺かれている石板はこれも重さが60トンほどの巨石が使われています。 部屋の奥には石棺だけが置かれていました。
石棺も一枚の花崗岩をくり抜いて作られていますが、その寸法を確認してみたところ、縦にしても横にしても、通路を通らない大きさなので玄室の工事中に、ここに置かれたものだと思います。 私は試しに中に入ってみましたが、身長170センチの私がやっと納まるくらいの大きさでした。 クフ王の玄室は有名なパワースポットして知られていますが、私はよほど鈍感なのか何も感じませんでした。 後から来た人たちは座して瞑想してみたり、祈り出す人もいたりしましたが、何かパワーを感じていたのでしょうか? そこへ中国人ツアー客の団体がなだれ込んで来ました。 狭い玄室の中は、たちまち中国人のかん高い話し声で騒がしくなって来ました。 これは以前聞いた話ですが、中国人はピラミッドを見てもその大きさに驚かないそうです。 それはきっと千年以上もかけて万里の長城を建造した民族なのだから、あるはそうなのかも知れません。 それにしても、中国の人たちは団体になると、なぜあんなにも騒がしいのでしょうか? その後、まもなく、後続の団体客まで入場して来て、更に混雑して来たので、もう少しゆっくりしたかったのですが、ここで引き返すことにしました。 戻る途中で再び大回廊を通過しましたが、その壁の構造は『せり出し構造』と呼ばれる石の組み方で、クフ王より更に昔のピラミッドの石室の天井部分に使われた方法を流用したらしく、古代ピラミッド建築の伝統様式です。 精密さを要求される大掛かりな石組みの方法です。 巨大な石をこれほど正確に積む技術が約5千年も前に存在したことは驚異ですが、動力機械も無い時代に良くやったものだと思います。 建造時の記録が発見されていない事もあって、古代エジプト人の英知は未だベールに包まれたままです。 ピラミッドの石を正確に積み上げた方法も未だに解明できていません。 どこまでも尽きない謎のためなのか、クフ王の大ピラミッドは昔も今も世界中から多くの人を引き寄せるパワースポットになっています。 |
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