厚別腰痛センター院長の放浪記


第22話 「ギザのピラミッドA」

第2ピラミッドは、第1ピラミッドのすぐ隣にあるので、数百メートル進んできついカーブを曲がると、すぐ到着してしまいました。 


第1ピラミッド のチケット売り場から見える 第2ピミラッド

バスから降りて、第2ピラミッド入場券を渡された時に、ガイドから『カメラを預かりますので私に預けてください』 そう言われて持っていたカメラを渡しました。 遺跡の保護のためピラミッドの内部は、撮影禁止になっていてカメラは持ち込めない決まりなのだそうです。 


第2ピミラッドは富士山の残雪の様に、頂上部分だけ化粧石材が残っていました


第2ピラミッドは、カフラー王の墓だと言われています。 このピラミッドはクフ王の第一ピラミッドと比べるとわずかに小さいのですが、傾斜角度が53度10分でクフ王のピミラッドよりも急角度に造られています。 

その理由はカフラー王の角度が53度10分だからだと伝えられています。 クフ王のピミラッドが完成してから、カフラー王のピミラッドの工事が始まるまでの間にもう一つのピミラッドが建てられました。 

クフ王の死後、息子のジェドエフラーが王位を継ぎました。 ギザから北西に8キロほどの場所に、アブ・ロシェという土地がありますが、 ジェドエフラーは、アブ・ロシェでピラミッドの造営を始めますが、このピラミッドは完成せずに終わっています。 ジェドエフラー王の治世は8年ほどで終わっています。 ピラミッドの造営は王が即位してから工事を始めるものなので、王が長生きすればする程、建築工事にも時間をかけることができました。 何らかの理由でジェドエフラーは早くに亡くなったようです。 

カフラー王は、クフ王ほどではなかったようですが、これだけのピミラッドを建てたのですから在位期間はやはり長かったようです。


ガイドにカメラを預けた順番に中へと入って行きます。 テントを張ったトンネルを潜り抜けると、地下に向かう下降通路が続いています。 この通路が天井の低いトンネルで前かがみになってやっと進めるくらいの広さです。

足元は両側から蛍光灯で照らされているので暗くはありませんが、先に入場していた人が戻ってくるので、すれ違う時が一苦労でした。 身体をかわすようにしてすれ違うのですが、通路が狭いため、身体同士を擦り合わせるようにして進まなければなりません。 

狭いことはともかくとして、通路の中の蒸し暑いのには驚きました。 室温も外気温と比べてかなり高めだった気がします。 身体中の毛穴から汗が吹き出してくるのが分かりました。 

石室や洞窟の中は涼しくて温度も安定しているはずですが、ピラミッドの内部はなぜこれほど蒸し暑いのか、これはなぜなのでしょうか? 

汗をたっぷりかきながらピラミッドの中央部分にある埋葬室まで辿りつきました。 天井が三角型に高くなっているので蒸し暑いのも少し収まりました。 



実際の通路はこの挿絵よりも低くて狭かったです。


中の広さは畳で20畳ほどで、部屋の奥の方には床に埋め込まれるように置かれた石棺らしきものがあります。 赤っぽい色の花崗岩(御影石)をくり貫いて造られており、中に入ってみましたが、かなりの巨体の人でも横になれるくらいの寸法でした。 


当時はこの硬い花崗岩をどうやって加工したのでしょうか? 4500年前だと青銅器の時代なので、電動ドリルやダイアモンドカッターなどの道具はまだ発明されていませんから、おそらくは布を濡らして砂を含ませたものを使って気が遠くなるような時間をかけて磨いたのでしょうか? 

第2ピラミッドは、父クフ王の第1ピラミッドとほぼ同じ規模の大きさを持ちながら、その内部は中央の玄室へと続く一本の通路しか確認されていません。 クフ王のピラミッドでは、3本の通路と、3つの部屋が見つかっているのですから、カフラー王のピラミッドにも まだ未発見の部屋が隠されているかも知れません。


側面の壁には、この部屋を発見した人物の落書きが残っています。 その人物はジョバンニ・ベルッィオーニというイタリア人探検家で、ナポレオンの遠征から20年後、1818年3月2日にこの部屋を発見しました。 彼は探検の成功を記念して壁に落書きを残したようです。 


ベルッィオーニが残した落書き

部屋からは何も見つけられなかったようですが、彼はその後、ヌビア地方の神殿や、ルクソールの王家の谷でのセティー1世王墓の発見など数々のセンセーショナルな発掘を成功させて活躍しました。 


ジョバンニ・ベルッィオーニ

ずっと後になってから映画『インディージョーンズ』の主人公のモデルにもなったほど、発掘にかけては天才的に勘の働く人物だったようです。 

19世紀に入るとナポレオンの遠征以降、ヨーロッパ各国でエジプト遺跡の発掘ブームが起こり、盗掘と遺跡の破壊の嵐が吹き荒れました。 その当時、古代エジプトの宝物は海外に持ち出され、世界中の博物館やコレクターの手に渡りました。 

そんな矢先にこの部屋は発見されました。

しばらく見学してから来た道を引き返しましたが、ピミラッドの外まで戻った頃にはシャツが水をかぶったように全身から汗が滴っており、狭い通路を往復したためか背中と太ももの筋肉が悲鳴をあげていました。 テレビなどでピミラッド内部に入場するシーンを何度も見ていますが、見るのと実際に入って見るのとでは、やはり違うものです。 


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