平岡整体療院院長の放浪記


第4話 「新疆(しんきょう)ウィグル自治区A」
                               (カシュガル市)

バスから市内の町並みを眺めていると、中国の町並みというよりもアラブの町並みと似ています。 添乗員の話によると人口の8割をウィグル族(トルコ系オアシス定住民)が占めるカシュガル市だそうです。 その昔はシルクロードの都だった古都です。 


都市部の人口だけで120万人程で、タクラマカン砂漠の脇にあり中国では最西端のオアシス都市です。 シルクロードの都らしく市内の至る所でモスク(礼拝所)を見かけます。 道行く人もアラブ系やロシア系の顔立ちの人が目立ちます。 


街の活気はあまり感じられず、ただ意味もなくうろついている人が目立ち、大都市のエネルギーはあまり伝わって来ません。


漢民族以外の人は良い労働条件の職業になかなか就けないのだとも聞いています。 2009年の7月に起こった暴動も貧困層の不満が爆発したからだそうです。 私が訪れたのが2009年の2月だったので、ここに来るのが5ヶ月後なら、もしかしたら暴動に巻き込まれていたかも知れません。 


私の記憶に強烈に残っているのが、以前テレビで見た 『シルクロードの死神』 の報道です。 この時、その記憶が蘇って来ました。

中国政府はウィグル自治区に近いタクラマカン砂漠の核実験基地で、1964年から1990年頃までに46回もの地下の核実験を行いました。 砂漠で発生した死の灰は風向きの為、ウィグル自治区に降り続けた様です。 実験開始から年を追うごとにウィグル自治区のガン患者(白血病やリンパ腫)や脳が奇形した胎児が増加しました。 これまでに19万人が放射能が原因で死亡しており、200万人に健康被害が出ていると言われています。

中国政府の圧力により、この事は公になっていませんが札医大の教授の研究チームが数年に渡って調査した結果、事実が分かりました。 中国政府はウィグル自治区を植民支配しており、住民を強制的にこの土地へ定住させて外へ出しません。 住民達はその事実を知りながらも、その汚染された土地で暮らしていかなければならず、貧しい患者たちは薬も買えずに死を待っているのだそうです。 

『ウィグル自治区へ行くのは観光でも危険だ』 私は以前そんな言葉を耳にした事がありますが、これは単に治安の悪さだけを言っているのではなくて、核に被爆するかも知れないという意味です。 私の場合は僅か半日余りでしたが、もしかしたら少しは被爆してしまっていたのかも知れません。 


ホテルから斜め向かいの建設中のビル

しばらくバスに揺られてホテルに到着しました。 カシュガル市ではかなり高級なホテルらしいのですが、私にはいたってごく普通のホテルに見えました。 ここで夕方まで待機する事になりました。 


夕方まで待機したホテル

部屋に荷物を置きにいった後、レストランに入っていくとバイキングの料理がたくさん並べられています。 中国料理が殆どですが、どれもとても美味しかったです。 その後は部屋へ戻って仮眠を取り昼まで寝ていました。 昼に起きてから1階のロビーへ降りて行きました。 するとそこに添乗員がいたので飛行機の到着時間を確認した所、『まだ連絡が来ないので早くても夕方頃になると思います』 という話でした。 


旧正月の人民広場

せっかく暇を持て余しているので、暇潰しに散歩に出る事にしました。 ホテルを出るとそこには大きな通りと人民広場があります。 人民広場は提灯で飾られて旧正月の行事をやっている最中でした。 お陰で旧正月の祭事を見る事ができました。 その後、ホテルの周囲を2キロ程歩きました。 歩道には食べ物の屋台や、立ったまま通行人にアクセサリーや服を売りつける人が目立ちます。 ムシロを敷いて物乞いをしている人もいました。 テナントの商店街では店内の照明を消しています。 営業していないのかと思って覗いてみると、ちゃんと営業していました。 この土地ではそれが普通の様です。 それにしてもどうも観光客らしい人は見かけなかったので、ホテルに戻ってから、ホテルの従業員に尋ねた所、観光地はモスクと市場くらいしかないのでパキスタン人位しか観光に来ないとの事でした。 


高さが30メートル
中国共産党は植民支配の為に
あえて巨大な毛沢東を建てたらしい


中華最大の
毛沢東像


ホテルの真向かいの
中国銀行

夕方近くになって待機客がロビーに集まって来ました。 長い待機時間も終わりに近づきバスに乗って空港に戻る事になりました。 

カシュガル空港に着いたら外は夕日が差してましたが、飛行機はまだ到着していませんでした。 それから1時間後にやっと飛行機が到着、さらに1時間経って搭乗手続きの開始となりました。 そしてそこの税関で私はライターを取り上げられてしまいました。 ライター等の点火器具は1個だけなら機内に持ち込んでいいはずでしたが、ここの空港では駄目らしいのです。

私の後ろに並んでいた年配の男性は何としてもライターを取り返そうと係員に必死の形相になって食い下がっていました。 『これは高いライターだから困るんだ!』 その願いも虚しく無表情な人民解放軍兵士にライターを没収されてしまいました。 振り返るとその男性は半泣き状態で肩をガックリ落としていました。 そんな様子を見て笑っている人がいたのですが、私はとても笑えませんでした。 私はその時、100円ライターを持っていて本当に良かったと思いました。 こんな悲しいドラマの後、乗客はカタール行きの飛行機に乗り込み、夜になって出発しました。 


平岡整体療院院長の放浪記 ホームへ



整体院 平岡整体療院HPへ

inserted by FC2 system