平岡整体療院院長の放浪記


第1話 「ある鉱山の興亡史」

先日、陽気にさそわれて、私は半日かけて散歩をしました。 最近は健康のためを考えて、私はなるべく散歩をするようにしています。 年齢のためかこの頃は一度体重が増えてしまうと以前の様には簡単に戻らなくなってしまいました。 休日だったこともあり、その日はおもいきって遠くまで足を伸ばす事にしたのです。 自宅からゴルフ場に向い、ゴルフ場の脇を通って林道に入ります。 林の奥へ奥へと進むうちに急な坂道に差し掛かりましたが、体重が重くなっているので、なかなか足が進みません。 それでも何度か坂を上ったり下ったりを繰り返すうちに足も心臓も坂に馴染んできたようです。 目的地まではあと少しの距離になって来ました。 自宅を出てから6キロ程進んだところに鉱山跡があります。 私は最近まで知らなかったのですが、ここでは以前、石油の採掘が行なわれていたそうです。 今でも油井跡からは石油の匂いがかなりプンプンして来ます。 わずかですが、ブクブクと泡だって湧いているのが確認できます。 


石碑の説明文によりますと…
安政年間に厚田村望来の海浜で石油の湧き出しが発見され、明治14年になって春別で試掘を開始、その後、採掘に取り掛かるが、困難な割りに採算が合わず、日本石油株式会社に譲渡される。 その後、昭和初期頃に最盛期を迎えて、従業員250名余りが働き、年間1万キロリットルを産出する。 やがて日本は戦争に突入していく。 油田は帝国石油株式会社に譲渡されるが、採掘量はこの頃から減少を始める。 戦後は民間の石油会社が業務を引き継いで採掘を続けるものの、産出量は減少の一途を辿り、遂には昭和35年に廃止となってしまった。 


試堀から81年を経て、国民の生活と産業を支えて来た「石狩油田八の沢鉱業所」は閉山になってしまいました。

現在は深い森と、笹やぶに覆われて当時の賑わいを忍ぶものは何もありません。 作業場の建物跡も採掘のやぐらの跡も何も残っていません。 閉山から50年が過ぎて、この土地はすっかり自然に還ってしまったのです。 石版に記された回想録だけが当時を物語っています。 

その後、しばらくしてから私は自宅へ引き返したのですが、ヘルスメーターに乗ると体重が何と3キロも減っていました。 


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